暇人の雑記帳

暇人おばばかん の なんでもノート。気になった事を調べたり、ちょっとした事をメモしたり、失敗談とか書いてみたり、どこかで誰かの何らかの役に立つ事もあるかもしれない。

地震の14日後の感想

2024年1月早々に隣県に大地震が来た。私と家族無事だった。築45年くらいの我が家も、タイルが何ヶ所か崩れ落ちたり、壁にちょっとしたヒビが見られる程度で、窓ガラスが割れたり、雨漏りがするといった住めなくなるほどの被害は無かった。幸い上下水道も電気も止通信まらなかったため、避難する事は無かった。普段使う道路も自動車が普通に走れる状態だった。

 

ブログに書くほどでも無いが、地震の時に思った事をメモしておこうと思う。

 

●水について

 地震の後、水道が濁った水が出た。大きな揺れがおさまって数時間後に気がついて、浴槽に水を溜めてみたが透明ではあったがくすんだ緑色だった。飲み水や料理には使えないと思った。そんな状況は3日ほど続いた。自治体からは特にお知らせは無かったが、浴槽にある程度 水を溜めても色や沈殿物が見られなくなったので、様子を見て段階的に、お風呂・洗濯OK、食洗機OK、調理OK、飲み水OKとした。ちなみに水洗トイレは濁っていても下水が大丈夫だったので使えた。

 我が家は、水道水をそのまま飲んでいたので、水を買う習慣がなかった。あまり災害のない地域だったので非常用の備蓄も無かった。頂き物でペットボトル茶が半ケースあったのが幸いだった。

 大地震のあった日はお正月休みで近所のお店はたいてい閉まっており、揺れも続いていたため、翌日に近所の自動販売機で水を数本買う事となった。自動販売機は半数以上が水だけが売り切れの状態だった。その自動販売機では、まだまだ買える状態であったが、必要以上に買い占めるのも人としてどうか?と思い、残りはお茶を数本買った。停電であれば自動販売機も動かないのでは?と思うとラッキーだった。コンビニは営業はしていたものの、とりあえず水が手に入ったので行くのをやめた。

 翌日からは徐々に近所のお店も営業を始めたが、スーパーでは水は数量制限で売られていた。ドラッグストアでは売り切れ状態だった。酒の量販店は、(おそらく瓶入りの商品などが散乱したため)営業出来ない状態だった。ちなみにホームセンターでも水を売っていたが、そのお店は建物に損壊があったらしく営業出来ない状態だった。地元のニュースでは、コンビニでは水は売り切れた状態だと言っていた。いつものお店でいつも通りの買い物が出来なくなった事を思い知った。

 我が家は70歳前後の父母と私という家族だが、子供や要介護者はいなかったので、飲み水の節約は可能だった。健康な人間なら飲み水はペットボトルお茶や清涼飲料水などで代えがきくが、乳児や病人はそうもいかない場合もあるだろうと思った。父親はボケてはいないが、初めのうちは水が貴重になってしまった事を理解出来てなかったようで、非常時なのに我儘を言っていた。

 飲み水が無くて出来なくなった事は、手軽な水分補給、調理。きれいな水が無くて影響が出たのは、皿洗い、歯磨き、手や顔を洗う、入浴、洗濯。水質によっては、給湯器、食洗機、洗濯機が壊れるなどの心配があって、2日間は我慢したが、水の濁りが薄くなったので洗濯機は3日目から使用、食洗機も5日目から熱湯消毒を期待して使用、給湯器(お風呂)も飲み水ではないとして3日目から使用した。機材は異常のある水で動かすとダメになる事もあるらしいというが、もしも壊れても仕方ない事にした。後になって思えば、今回は最初の3日だけ乗り越えればよかったような気がする。

 結論、最低限の飲み水備蓄は大切だと思った。震源地に近い場所で無くても何だかんだ影響がある事を学んだ。今後は1人あたり3日分として9リットル+ペットボトル茶で備蓄しようと思う。上下水道、電気、ガス、通信、交通とライフラインは色々あるけれど、飲み水は最重要と感じた。

 

●食料について

 食料については、もともと正月の備えもあり、電気が通っており冷蔵庫、電子レンジ、トースター、IHコンロが使えたため、家にある物で十分まかなえた。強いて言えば、きれいな水が無いため、調理、炊飯、皿洗いが出来なかった。飲み水の温存のため、野菜を洗う、米を研ぐ、食器を洗うを控えていたため調理は出来なかった。ラップ、ホイル、紙コップ、割り箸はあったので食事は出来た。

 切り餅とシリアルのストックが多めで主食は困らなかった。調理が必要な肉や魚は冷凍庫へ、卵やソーセージはトースターとホイルで焼いて食べれたし、かまぼこ、納豆、ヨーグルト、チーズはそのまま食べれた。お正月料理として、ある程度が作り置きされたおかずがあった事も良かった。野菜は、水洗いや調理が必要なため不足気味だった。ミカンとバナナが救いだった。

 米、野菜はあったが、きれいな水が無いと安全に美味しく食べる事が出来ないと思った。もともと食料の備蓄は多い我が家だけれど、今後は非常時の事も考えてローリングストック出来ればと思った。水が無い、調理出来ない、そんな時に備えて。

 

●衣服、洗濯、お風呂について

 冬なので多少我慢ができるものの、不衛生になると病気になってしまう。多少の水の濁りは我慢して、洗濯機が壊れる覚悟で起動。水と電気のあるありがたさを実感した。断水だったら?停電だったら?大雪、猛暑だったら? ミニマリストも良いけれど、多少は余分な服を持っておいて良かったと思えた。数回使っただけだったが、パンティライナーとボディシートはあって良かったと思う。

 

●住まいについて

 今回の地震で家に住めなくなるような事は無かったが、食器棚、ペンダントタイプの照明、家具の配置は対処した。

 食器棚が倒れ、食器棚の扉のガラスが割れ、食器も何枚かダメになった。最初の地震の後、余震の様子を見ながら、割れたガラスを片付けた。とにかく、それが一番危ない状態だったので、炊事用手袋をして大きな破片を拾い、ステンレス鍋へ。小さな破片は掃除機で吸い込み、ボロ雑巾で拭く。とっさにした事だが、買ったばかりの掃除機を使った事を後悔している。古いストッキングをかぶせて、掃除機内部へガラス片が入らないようにするとかした方がいいらしい。掃除機ヘッドのブラシとフィルターは買い替えだろうか。。。 とりあえず、その他の家具や建具のガラス部に、(賛否両論はあるが)マスキングテープや養生テープを貼って、割れても飛び散らないようにした。

 ペンダントタイプの照明は古いもので、蛍光灯で重たいタイプだった。余震が続いたので、落下の危険があったので、小さくて軽いLEDシーリングライトに替えた。ついでに照明の傘の掃除が不要になると母が喜んでいた。

 我が家は、普段はエアコンと石油ストーブで暖をとっていたが、今回の地震では余震が続いたので、エアコンが活躍した。停電だったら石油ストーブが活躍すると思うので、これからも両方使うと思う。

 今回の地震は東西の横揺れが多く、そのため倒れやすい方向にあった家具の向きを変えたり、倒れても大丈夫なように感覚を空けた。高い位置の物は床に下ろし、倒れやすい物はあらかじめ倒して置いた。

 また地震が来るかもしれないと思うと、そういう部屋作りをしていかないとと思った。あと、物が多すぎなので、断捨離する良い機会になると思った。

 

●災害の情報

 地震のリアルタイムな情報はネットでモニタ出来た。ずっとネットを見ているのも疲れるもので、しばらくしたらテレビをつけっぱなしにしておいた。そのテレビさえもしんどくなってくるので、その時点で常に情報をチェックするのはやめた。ここは震源地からある程度離れているので、すぐに避難などはしなくてよくて、今の揺れの震度はどれくらいだったのか確認するみたいな感じになっていた。

 震源地に近い場所の被害状況の情報が届くのは、やはり4〜5日かかった。東日本の時もそうだったと思う。こんなにひどい事になっていたのかと、後から後から分かるという。

 上下水道の情報などは市のHPやSNSを見るとよく分かった。停電は電力会社や行政のHPで確認出来たが、実際ネット出来ない状況なら、ラジオあたりが頼りになるのだろう。道路情報もそれほど被害の多くない場所であれば、ネットで収集できそうだった。近所のお店(田舎)の開店状況などはHPに反映されなかったので、急ぎでもない限りは電話問い合わせも迷惑だろうから、実際行ってみるしかないと思った。

 SNSは役に立つ情報もなくもないが、圧倒的にどうでもいい話が延々と続いて気が滅入ってくるので、基本的に見ない方がよいと思った。

 停電が無く、通信にも異常がなかったので、ネットも電話もテレビもラジオもあった。親が高齢者の部類なので、親戚と電話で無事を確認していた。すぐに連絡が取れて災害ダイヤル等は利用しなかった。

 

●職場での対応

 お正月休みだったのと、緊急連絡もなかったので、地震の後 3日経ってから出勤した。事務所はとにかく物が散乱していた。しかし、大きな被害は無い様子だったので、さっさと片付けなくてはと思ったが、勝手に片付けるのはNGとの事。ちょっとした組織なので、可能な限り写真を撮って記録して、被害報告しなければならないらしい。3日も経ってるので、落下したPCモニタなどは手遅れの状態で、慌てて何かする事もなかったのである。

 

●一週間経って

 昨日も震度4の地震があった。震度2以下の地震は気にならなくなったものの、やはり気が休まらないものである。私の住む地域では、ほぼ通常通りの生活に戻りつつあるが、気の休まらない中、普通に働きつつ、多少なりとも地震の後片付けをしなければならない。

 そう言えば、以前より防災バッグは用意していた。今回は避難しなかったので使用しなかったが。防災について考えてなかったわけではなかった。しかしながら、避難しない場合については何も考えてなかったように思える。とりあえず、水の備蓄をしようと思った。

 

●二週間経って

 ライフラインが通常通り、家も大丈夫だったので、ほぼ日常を取り戻しつつある。時々、余震が来るが毎日ではなくなった。ニュースでは被害全容が明らかになりつつあった。同じ県でも住宅半壊や液状化現象で被害が出ているらしい。今後も大きい地震があるかもしれないので、用心したい。

 

 

何か思い出したら、追記しようと思う。